年老いた両親と同居をはじめて、数ヶ月が過ぎようとしていた。

     長年連れ添った夫と離婚。一人娘は県外の大学へと進みそのまま就職。いままで両手いっぱいに抱えていたものすべてが、まるで幻だったかのようなやるせなさとともに、わたしはたった一人で、この懐かしくもどこかよそよそしい実家へと戻ってきたのだった。

     春の終わりに故郷へ戻り、夏が過ぎ、秋になる頃、私はあることが気にかかるようになっていた。

     両親は、年老いたといっても身の回りのことぐらいなら出来たので、私は近くのコンビニで日中はバイトをしている。朝食後に出掛け、夕飯の支度前には帰宅する。早朝や夜はシフトから外してもらったが、その代わり土日には店に出ていた。

     バイトから帰り、庭を通って玄関へと向かう。そう、それは、いつもその時に起きるのだ。

     塀とフェンス、生け垣に囲まれた実家の庭。
     バイトから家に帰り、門を静かに押し開けて、玄関まで続くコンクリートの細道を進む。右手に広がる庭には芝がはられ、木製のベンチタイプのブランコがある。
     わたしは、子どもの頃そのブランコが大好きで、毎日のように乗っていた。ブランコの上でおやつを食べたり、絵本を呼んだりする。私よりも十も年上の姉がいて、時折後からブランコを押してくれる。

     キイ……。キイ……。 

     わたしは門を閉めて、コンクリートの細道を歩く。そのブランコを通りすぎようとするとき、必ずそれは起こるのだ。どんなに穏やかで風のない日でも。わたしが通りすぎたその時だけ。

     キイ……。キイ……。
     ブランコが軋みながら揺れる音がする。

     初めは、気のせいだろうと思った。たまたまだろうと。
     でも、わたしが通り過ぎるとき、必ずブランコは揺れる。
     いや、わたしは揺れるのをみたことはないのだ。振り返ると音は止み、ブランコはピクリともせずに、いつもそこにある。
     いつもいつも。
     何度か振り返ってみたが、徒労に終わった。
     だから今では、振り返りもしない。

     キイ……。キイ……。

     その音を聞きながら、家の鍵を開ける。 

     ――姉さん。
     わたしがせがむと、嫌な顔もせずにブランコを押してくれた姉さん。

     姉は二十代半ばで結婚をした。女二人姉妹だったため、彼女は婿養子を迎え、この家に入った。
     義兄は豪快な人だがいい加減なところがあり、面倒見がいいために、家にしょっちゅう同僚を連れ帰るような人だった。折り目正しく真面目な両親とぎくしゃくしだすのに、そう時間はかからなかった。
     そんな家庭の雰囲気がいたたまれず、わたしは大学進学と同時に家を出て、その後は家に寄り付かなくなってしまった。

    『大学はどう? 困ったことはない?』

     時折電話でそう聞いてくる姉。けれども、家から逃げ出した罪悪感も手伝って、わたしはいつも急くように電話を切った。
     結局一度もわたしは実家に近寄ることはなかった。

     姉が死を選び、帰らぬ人となるまで。

     話を聞けばよかった。一緒にいればよかった。

    「姉さん」

     ブランコに背を向けたまま、呼びかける。

     ブランコの音が止まる。

     今振り返ったら、あなたはそこにいるの?
     ねえ、笑ってる?怒ってる?泣いている?

     わたしは背後に誰かが立つ気配を感じた。とても近くに。そう、とても近い。

     秋の夕暮れ、かさかさと枯葉が音を立てて、しん、と冷たい空気が私を包み……。

    「姉さん……」

     ほおを涙が伝う。
     振り返ることも出来ないまま、わたしはそこに佇んでいた。