アサユキが保澄と魂のとおり道を見た次の次の日。アサユキの父と兄は小さなかめを舟に乗せ、神子の里へと運んできた。
     死者が出ると、その亡骸を甕に入れ神子の里へと運ぶのだ。
     死者を哀れみ、遠く離れていくことが悲しくて。近くに置いておきたくて……。

     父と兄は、運んできた甕を自分たちの集落の子どもたちが眠る一画に、埋めた。冬の雪の季節は龜を埋める作業も大変であったが、神子たちもそれを手伝った。
     龜を埋め終えると、大神子は祈りをささげた。神子たちも墓の周りに集まり、祈りをささげる。アサユキもフキも、皆と共に祈った。
     神子たちの後ろに控え、嗚咽を漏らす父と兄。フキも時折目をぬぐっていた。

     フキもアサユキも、今ではこの神子の里で暮らしているから、弟とはいえ、一緒に暮らしたことはないのだが。小さな弟の誕生を、心から喜び祝ってはいたのだ。彼が少し大きくなり、この里に姉をたずねてくれる日を、楽しみにしていたのだ。
     そのはずなのに……、アサユキは、この場の悲しみの色が濃くなるほど、気持ちが冷めていくのを感じて愕然とした。何故か涙は一滴も出なかった。
     自分だけがこの場から浮き上がり、取り残されてしまった……。そんな気がして、心の奥底に疼くような痛みを感じた。
     あの魂の道を見たことで、自分自身が変容し、ヒトとは違うものになってしまったのではないかと、少し空恐ろしくなり、恐ろしいと思う自分がいることに僅かに安堵する。


     一連の儀式が終わると、父と兄は一晩神子の里に泊まることとなり、フキとアサユキの二人は、家族とともに過ごすことを許された。
     神子の里には、各集落から訪れた者や、少し離れた別の地域からの来訪者を留め置くための、敷石住居が何棟か建てられている。
     ぱちぱちとはぜる火で室内は暖まる。平らな敷石の上にはむしろがひかれていて、地面からの冷えを防いでくれていた。

    「二日前の晩、空へと昇るハヤ(弟の名)の魂を見ました」

     そう告げるアサユキに、父は「そうか」といい、うなずいた。
     暗い顔をした兄のマヒルは、ただ黙ってうつむいている。
     アサユキは子どもの頃、この長兄に一番に遊んでもらった。
     男勝りだったアサユキを、まるで自分の弟でもあるかのように、マヒルは狩りに連れて行ってくれた。弓の扱いを教えてくれたのもマヒルだったし、弓の作り方も教えてくれた。獲物をはじめて一人でさばいたときは「アサユキ! たいしたもんじゃねえか!」と、自分のことのように喜んでくれた。
     父親は、女の子がそのようなことをする必要はないと苦い顔をしていたが、兄は、めきめき狩の腕を上げるアサユキを、いつも褒めてくれ、喜んでくれた。
     しかし、今日この神子の里に来てからというもの、マヒルはアサユキと目を合わせてくれない。
     父と姉のフキは、ふたりとも目を真っ赤にして、今も時折目頭を押さえている。
     アサユキは、家族のために、心を落ち着ける作用のある薬草を煎じた。
     土の龜の中でこぷこぷと沸騰しはじめるそれを、注ぎ口の付いた茶碗に移し、更に一人ひとりの椀に注ぐ。

    「どうぞ」

     それぞれの前に椀を置いた。
     住居の中には茶の香りが広がっていた。この薬草の香りにも、心を落ち着ける作用があるのだ。
     三人がそれに口をつけるのを見てから、アサユキは自分自身にも茶を注いだ。

    「神子らしくなったのだな……アサユキ」

     今日、はじめて長兄がアサユキを見て言った。だがその声には苦いものが混じっている。
     
     兄の言葉が心臓に突き刺さった。
     神子らしくなった。
     もうおまえは、俺の知っているアサユキではなくなった。
     兄の言葉が、聞こえてくるようだった。

    「にいさま……」

     兄はただ押し黙ったまま、ずずずっと音を立てて茶を啜った。


      

     アサユキは、父と兄が寝息を立てるのを見届けると住居を後にし、魂送たまおくりの火を中央の広場で焚いている大神子の元へと戻った。
     今宵、大神子はこの火を絶やさずに焚き続けるのだ。周囲には祈りを捧げている神子たちも数人みえた。

     アサユキは無言で大神子の隣にすわる。
     しばらく二人でぱちぱちと音を立てる炎を見つめ、時折薪を火の中へと放り込んだ。静かな晩だった。


    「なんだい? 久しぶりだろう? 家族と一緒に一晩過ごせばいいじゃあないかい?」

     ちらりと横眼でアサユキを見ながら大神子がつぶやく。

    「大神子様、今日の儀式は何のために行うの? あの甕の中にはハヤの体が入っているけれども、ただの抜け殻でしょう? 抜け殻を大切に甕に入れ、地面に埋めて、何の意味があるの? この祈りだって、死者には届かないわ。精霊にも神にすら届かない。彼らには意味のないことだもの……」

     誰にも分かってもらえない疑問を口にした。

    「ねえ、大神子様。私はおかしいの? こんなふうに思ってしまう、私はもう前のアサユキではないの? 私だって悲しみたい! なのにおかしいの。父さんや、にいさまのように悲しむことが出来ないの! 私が神子だから? でも、フキだって……涙を流していたのに……。わからない。魂送りは、何のためにするものなの?」

     大神子は黙ってアサユキの言葉を聞いていた。
     アサユキは疑問を口にしながらも、大神子にすらこの気持ちを理解してもらえないのではないかと頭の片隅で考えていた。
     しかし、大神子は大きな薪を、ひとつ火にくべると答えた。

    「生者のためだよ。アサユキ」

     その言葉に迷いはなかった。
     答えを期待していなかったアサユキは、はっとして大神子を見つめた。

    「いくらわしらが心を込めて祈ろうと、死者にも、精霊にも、神にも、通じはしないし、彼らにとってはなんの意味はない。それはその通りさ。考えてごらん。祈るのは誰なんだい? 祈ってほしいと思っているのは誰なんだい? 大切なものを失って悲しみに暮れているのは誰なんだい? 全部、生きている私達さね」

     大神子の言葉がカラカラに乾いていた脳内に染みていく。

    「これは、わからないものには内緒だけどね」

     大神子は、自分のカサカサと乾いた唇に人差し指をチョンチョンとあてて、小さく笑ってみせた。

    「生きてるものはさ、自分たちが大切なもののためにこれだけのことをした、そう思うことで、心に空いた穴を埋めようとしてるのさ。わしらには魂の行く末は見えないからねえ。神に祈ることもおんなじだ。神に祈ることで、安心を得ているのさ」

     大神子の答えはアサユキにもよく理解が出来るし納得のいくものではあった。
     しかし……でも……と心の何処かで声がする。

     それは、ごまかしているのではないか?
     本当にそれでいいのか?
     ヒトも動物も虫も、石ころでさえ、本当は同じものであるというのに。祈ることで、ヒトは特別になってはいないか?
     祀ることでこの地に生きる仲間から外れていっているのではないか?
     そう考えはじめると、心の中にどうしようもない焦燥感が生まれていくのだった。
     
     けれども、結局アサユキは大神子と共に死者を送るための祈りの言葉を口にのぼらせる。
     気が付けば辺りは白み、空気が身を切るように冷たい。
     ここ数日やんでいた雪が、チラチラと降り始めた。


     背後に人の気配を感じ、アサユキは後ろを振り返った。
     兄が後ろに立って、祈りをささげる大神子とアサユキの様子を見ていた。アサユキと目が合うと、その場で胡坐をかいて座った。

    「一晩中?」

     兄にそう問われ「はい」と答える。

    「そうか、夕べはすまなかった……」

     目の縁を赤くした兄に「いいえ」と答えると、アサユキはまた祈りを捧げ始めた。



     
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    その一 その二 その三
    「アサユキ 神子となる」
    その一 その二 その三 その四
    「アサユキと 白い精霊」
    その一 その二
    「アサユキと 魂の輪」
    その一 その二
    「アサユキ 決別する」
    その一 その二 その三