アサユキが神子となってから五年の月日がたとうとしていた。
     アサユキは相変わらず精霊の森で過ごすことが多く、このところ人々の間では精霊付き様などと呼ばれているらしい。
     大神子もまだ健在ではあったが、だいぶ足腰は弱くなっていた。

     アサユキは精霊の森に入っては、動物たちとおいかけっこをしたり、伯偉の子どもたちと山の斜面を滑り降りたりして遊んでいるのだが、里に下りると、力のある神子様、恐れ多いお方と思われてしまうのだった。
     世界をめぐる魂の輪というものの存在を知ってから、ヒトの生き死ににあまり動じなくなったことも、人々に畏怖の念を抱かせることに拍車をかけているのかもしれない。
     人々がアサユキに対してそのように接することで、アサユキは居心地の悪さをおぼえ、無表情になってしまう。近頃では、山の中で過ごしている時のほうが、本当の自分なのではないかとさえ、思っているのだった。

     アサユキのこのところの一番の仲良しは、伯偉の子どもの「壱偉」である。伯偉と出会ったあの日に、後を追ったうり坊の片割れで、今はもう大きな体の若いのししに成長している。
     壱偉は、まだ若く。ヒトの形になることもアサユキと言葉をかわすことも出来ないのだが、それでもアサユキは壱偉のことがよくわかった。
     もしかして、言葉の通じるヒトよりも壱偉の考えていることのほうが、アサユキにはよく分かるのだった。

    「壱偉! 今日はね、フキノトウを探しているのよ。あれはとっても体にいいでしょ?」

     アサユキが植物の蔓で編んだ籠を片手に森の中を探す傍らで、壱偉も鼻をうごめかしながら土を掘り返す。
     フキノトウを見つけた壱偉はアサユキの衣服の裾をクイクイと引っ張った。

    「え! もう見つけたの!? わー、いっぱい。もう、春が来てるのねー」

     一人と一匹ではしゃぎながらフキノトウを摘んでいると、背後から誰かにみつめられているような気配がして、アサユキははっと振り返った。
     そこには、背の高い、真っ白な髪の女が立っていた。

    「伯偉!」

     地面の匂いを嗅いでいた壱偉が母に近づく。伯偉は愛おしげに壱偉の背を撫でた。

    『アサユキ、壱偉と遊んでおったのか……』

     伯偉の目は優しげだ。はじめてあったときのあの、憤怒の表情をした精霊と同じ精霊とは思えない、母の顔をしていた。
     伯偉は、壱偉の背中をトンと指先で突いた。壱偉は、わかったというように首を振ると、森の中へと消えていってしまう。

    「あ……壱偉!」

     アサユキが声を上げたが、壱偉は戻っては来なかった。

    『アサユキ、今日はサキヨミを与えに来た』

     アサユキは改めて伯偉を見上げる。
     この数年でアサユキの身長も随分と伸びたのだが、それでも伯偉の胸の下ほどまでの背しかない。

    『皆に伝えよ。試練のときが始まると。夏は熱く過酷で、水は干上がるだろう。秋には嵐、そして冬には吹雪がやって来る』
    「そんな!」

     アサユキが口元を抑えた。

    『死人が出る。それも多くのな。そして人々はそれに耐えねばならん』

     アサユキは伯偉の手に縋った。

    「なんとかならないの!?」

     伯偉の瞳が冷たくアサユキを見下ろしていた。

    『アサユキ。我らはお前たちにサキヨミを与える。それだけの契約だったはずだ。それ以上のことを、なぜヒトは平然と求めるのだ?』

     雷に打たれたように、はっとアサユキは伯偉から手を離した。

    「ご……ごめんなさい」
    『よい。心に留めよ』

     そう言うと、伯偉は静かに踵を返し、うららかな春の日の差し込む森の奥へと消えていった。



     ◇
     

     サキヨミの通り、その年の夏は暑かった。
     河はその水量を極端に減らし、河原に出来た生温い水たまりの中には、取り残された魚が無残な骸をさらす。その水たまりの上には黒い靄となるほどの小さな虫やハエが群れていた。世界が腐臭に包まれたような厳しい夏だった。

     秋には嵐が山の実りを根こそぎ駄目にしていってしまう。

     そして、ついに訪れた冬は厳しかった。
     幾日も吹雪に閉じ込められて、思うような狩すらできない。それまでに蓄えていた、木の実や、魚や肉の塩漬けや燻製で飢えをしのぐ。

     人々は疲弊していた。
     しかし、その次の年にもたらされたサキヨミも、人々にとって厳しいものとなった。
     
     二年目の夏は前の年とはうって変わって冷夏となった。
     山の樹々は殆ど実をつけずに立ち枯れていく。

    「なぜだ! 我々は十分に耐えたではないか?」
    「なぜ、精霊様はそのように厳しいサキヨミばかりを我々にくだされるのだ?」

     人々の不満が、里に満ちていった。

    「ちがう!」

     アサユキは叫んだけれども、その言葉は人々には届かない。
     それどころか

    「おまえは、精霊の森で精霊様から特別な扱いを受けているのではないか?」

     などと邪推するものまで現れる始末だった。
     もちろん、そんな考えを

    「なんて罰当たりな」

     と諌めるものもいる。
     けれども、人々にのしかかる、飢えと死の匂いは、人々から余裕を奪っていくのだった。

     動物たちも例外ではない。
     山の恵が減れば、それを餌とする虫や小動物は数を減らし、小動物が減ればそれを餌とする大きな動物たちも減っていく。
     
     それとともに人々が狩りで得る獣の数も減り、その獲物も、やせ衰えたものばかりとなっていった。


     

     そして、それが訪れた。
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    「孤独」 (完済)

    前編  中編  後編

    「かつて、精霊がいた」 (完結)

    「アサユキ 精霊と出会う」
    その一 その二 その三
    「アサユキ 神子となる」
    その一 その二 その三 その四
    「アサユキと 白い精霊」
    その一 その二
    「アサユキと 魂の輪」
    その一 その二
    「アサユキ 決別する」
    その一 その二 その三