フキの腕の中で震えていたアサユキだったが、しばらくすると次第に震えはおさまり、落ち着いてきたようだった。

    「もう大丈夫よ、ねえさま。私、精霊の森に迷い込んじゃって……それでね……」

     フキの腕の中から抜け出して、森であったことを話し出そうとするアサユキをフキは止めた。大神子のもとへアサユキを連れていかねばならないということを、思い出したからだ。

    「あのね、アサユキ。大神子さまがあなたに会いたがっているのよ。こちらについてきて?」

     フキが先に立って集落の中に入っていこうとすると、アサユキは

    「ちょっと待って!」

     と言いながら、フキの腕にすがりついてきた。

    「どうしようねえさま! 私、精霊の森で矢を放ってしまったの! ねえ、大神子様に怒られちゃうのかしら? でで、でも、あのうさぎに矢は当たらなかったと思うの、あの、当たってもかすり傷くらいで……!」

     青い顔をして慌てふためくアサユキの背をポンポンと叩いてやった。

    「ねえさま」
    「アサユキ、大丈夫よ」

     にこりと笑いかけてやると、アサユキはしゅんと肩を落としながらおとなしくなる。


     フキは元気のないアサユキを伴って、広場の隅の木陰にいる大神子様の元へ向かうと、手をつき、地面に額をこすりつけるほど深々と頭を下げた。
     アサユキも、姉を見習って頭を下げている。

     大神子は薬草をすり潰していた石皿を脇に寄せると

    「顔を上げな」

     と、二人に声をかけた。

     アサユキは大神子の声に、ぎくしゃくとしながら、少しずつ頭を上げていった。それでも手はついたまま、上目遣いに大神子のようすを探っているようだ。
     フキはついていた手を膝に載せ、すっと背筋を伸ばしたものの、ビクビクとする妹の様子が心配でならない。
     大神子は、何も言わずにただじいっとアサユキを見つめているものだから、アサユキが次第にもじもじとしはじめる。
     とうとうその沈黙に耐えかねてアサユキが

    「……あの……」

     と、小さい声をたてた時、大神子のシワに埋もれた細い目がカッと見開かれた。
     柔和だった大神子の表情が、それだけではっとするほどの凄みを持つ。その瞳には、老人とは思えないほど生き生きとした力強さが宿っていた。

    「ひいっ!」

     アサユキの息を呑む音が聞こえた。
     はじめて大神子と会ったのだから仕方ないが、フキは大神子の優しさを知っているだけに、あまりに恐縮するアサユキがどうにもおかしくなってくる。

     大神子はアサユキの怯えなど知らん顔で、目をカッと見開いたまま瞬きすらしない。

    「おまえ、精霊様を見なすったね?」

     と、大神子ははじめて口を開いた。

    「はいぃぃぃ! ……え!? なんで知ってるんですか!?」

     アサユキは急に発せられた大神子の言葉に一瞬飛び上がったが、知りたいという気持ちが勝ったのだろう、叱られるかもという恐怖も忘れたらしく、大神子の方へ身を乗り出す。
     フキはもう我慢がならずに、くふふふふ、と笑い声を上げた。
     大神子の見開かれていた瞳は再びシワの中に埋没し、口元にはわずかに笑みのようなものが浮かんでいる。

    「ふん。そのくらいのことはわからんで、大神子などと名乗れはせんのよ。さ、おまえ名は?」
    「アサユキと申します」
     
     アサユキは、感心したような顔で素直に答えた。 

    「大神子様、アサユキは私の妹なのです」

     アサユキの答えに、フキが自分との関係を付け足してやる。

    「ほう……なるほどなるほど……。ではアサユキ、何が起こったか、この婆に話して聞かせてもらおうか?」

     大神子に促され、アサユキは今日精霊の森であったことを、洗いざらい話して聞かせた。

     狩りのこと。うさぎを追って精霊の森に迷い込んだこと。森の生き物に追いかけられたこと。それからなんとも美しい立派な枝角を持つ精霊に出会い、会話を交わしたこと。


     それらすべてを聞き終えた大神子は、フキに向かって言った。

    「フキ! 里にいる神子を皆あつめよ。神子成の儀式を行う。それから、アサユキの支度は出来るか?」
    「はい」

     アサユキの話を聞きながら、フキは、これは大変なことが起きたと感じていた。大神子の考えも、フキと同じものだったらしい。
     だが、当のアサユキは何が起き始めているのか皆目わからないといった様子で、きょろきょろと大神子とフキの顔を伺っている。

    「ナズナ!」

     近くにいた神子に大神子が声をかけた。

    「はい、何用でしょうか?」

     ナズナは大神子のただならぬ様子に小走りに近づいて膝をついた。

    「ここにいるアサユキの神子成の儀式を行うよ。ヒコの里全てに伝令を出すよう手配おし。儀式は明日だ」
    「かしこまりました」

     一礼して足早にナズナが去っていく。ヒコの里と言うのは、この神子の里とつながりのある集落のことを言う。

    「え? わたし? 神子成? は?」

     まだ事態の飲み込めぬアサユキを、フキは立たせた。

    「そうよアサユキ。あなた、神子になるのよ」

     フキが妹にそう言うと、アサユキは目を点にして

    「ええええぇぇぇぇぇ!」

     と、里中に響き渡る大きな声を上げた。
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    「孤独」 (完済)

    前編  中編  後編New!

    「かつて、精霊がいた」 (完結)

    「アサユキ 精霊と出会う」
    その一 その二 その三
    「アサユキ 神子となる」
    その一 その二 その三 その四
    「アサユキと 白い精霊」
    その一 その二
    「アサユキと 魂の輪」
    その一 その二
    「アサユキ 決別する」
    その一 その二 その三