保澄の後ろ姿が精霊の森へと消えていくのを見送った後、結局アサユキは櫓の上で朝までぐっすりと眠ってしまっていた。
     次の朝、日の出と共に住居から這い出てきた神子たちに声をかけられてようやく目が覚める。
     気がつけば、はしごは元通りに櫓にかけられていて、アサユキはそれを伝って、一晩ぶりに大地に足をつけた。

     そして、昨夜保澄の言っていたことを思い出す。
     
    『嵐がやって来る』

     アサユキは慌てた。

    「ねえ、わたし、大神子様に伝えたい事が……!」

     そう伝えようとしたのだが

    「禊が終わったら、大神子さまがお会いになられますから」

     と言われ、オオクマ川の流れの中に、昨日と同じように連れて行かれてしまう。
     集落の広場では、今日も朝から新しい神子の誕生を知らせる狼煙が上がっていた。

     昨日の今日であるから、何を言っても無駄なのだと、流石にアサユキも諦めて、川の中で神子たちにすべてを任せておとなしくしていた。
     きれいに洗われ、元どおりにきれいな服を着せられたアサユキは、ようやく広場中央にいる大神子様の正面へとやってきた。

     今アサユキは、広場の中央で大神子の正面に座っていた。離れたところに二人を囲むように里の神子たちが座っている。
     そこでようやく、アサユキは大神子に昨夜保澄に教えてもらった嵐に関するサキヨミを告げることができた。
     その報告を静かに聞いていた大神子が言った。

    「アサユキ、お前は精霊様を見ることも、お話をじかにかわすこともできるのだね?」
    「はい……みたいです」

     アサユキの答えを聞くと、目の前の大神子が、膝の前で手をつき、ガバッと頭を下げた。どうやらアサユキに向かってひれ伏しているらしい。

    「え!? ど、ど、どうしたんですか? 大神子様?」

     大神子に頭を下げられて、アサユキは慌てふためいた。おろおろと、離れたところに座っている神子たちに目をやるが、神子たちも顔を伏せており、誰も反応を返してくれない。

    「アサユキ様の力、この大神子よりも上でございましょう。この私は、じかに精霊様と話を交わすことが出来ないのでございます。その姿を見、感じ取ることはできます。精霊様のサキヨミのお告げに耳を澄ますこともできますが、会話を交わすように話をすることはできないのでございます」

     さらに、いきなり敬語で話し出した大神子を前に、アサユキはあわてたように手を振り、真っ赤な顔になって、口をパクパクさせた。
     
    「本来ならば、あなたが大神子となるべきでしょう。ただ、アサユキ様はまだ年若い。アサユキ様が成人なされるときまで、この婆がこのまま大神子を名乗ってもよろしいでしょうか?」

     そう言うと、大神子は手をついたまま、ちょこんと顔をあげてアサユキを見つめた。丁寧な口調だったけれども、面を上げた大神子の表情はどこか笑みを含んでアサユキを見つめている。

    「も、も、もちろんです! ぜひに! お願いします!」

     アサユキは多少どもりながらも即答すると、勢い良く頭を下げたために、したたか顔面を地面に打ち付けた。

    「あい、承知いたしました」

     大神子は額を地面に一度こすりつけると、顔をあげて手を膝に置き、ピンと腰を伸ばした。

    「さて、では大嵐への準備をしなければなりますまい。したが、その前にアサユキ様、神子成の儀がございます。フキや!」
    「はい」

     フキが離れて控えていた神子たちの中から進み出る。

    「フキ、お前にアサユキ様の世話を任せる。さあ、祝いの使者がぼちぼちとやってくるだろうて、アサユキ様のお披露目だよ」

     そう言うと、大神子は里の神子たちに、てきぱきと指示を出し始めた。
     ようやくアサユキの体から力が抜ける。なんのかんの言っても、これまで気が張っていたのだろう。
     地面にお尻をぺったりと下ろしたまま、放心状態で立ち働く神子たちを眺めていると、姉のフキが近づいてきた。

    「フキねえさまぁ……」

     泣きそうな気分で情けない声を上げると、フキはアサユキの顔を覗き込みながら

    「大丈夫。アサユキはただ座っていればいいのよ」

     と、やさしく笑いかけてくれた。

     ◇

     しばらくすると、近隣の集落から、狼煙を見た人々が徐々に集まりはじめた。
     集落の長たちが、幾人かの共を連れ、祝いの品を持ってこの神子の里へとやってくる。

     集落の長は男が多いのだが、稀に女もいる。また、それぞれの集落には決まった印があり、みんな体のあちこちに自分の所属集落を示す入れ墨を施していた。横一本であったり、波線であったり、そう複雑なものではない。
     その入れ墨は、成人したものに施されるので、アサユキにはなかった。そして、神子もその入れ墨を持っていない。どこの集落にも属さぬもの、それが神子なのだ。
     神子には男も女もいたのだが、最近は女の割合が多くなっているのだそうだ。それがなぜなのかはわからない。

     アサユキは広場中央の大神子の後ろに座っていた。周囲には花が飾られている。
     そして、ただじっと座っているアサユキの背後には、貢物がドンドンと高く積まれていった。

     アサユキの住んでいた集落からも、父と一番上の兄のマヒルがやってきた。
     父はアサユキを見ると、少しだけ目を見開いた。
     マヒルは目だけでなく口までぱかりと大きく開いた。
     昨日一緒に狩に出かけたアサユキが、神子としてそこに座っているのだ。アサユキはその顔が愉快でくすくすと笑った。大神子はそれに気付いたが、咎めはしなかった。

     そうやって、新しい神子のお披露目は過ぎて行った。大神子は、やってきた使者へアサユキが受け取ったサキヨミを告げた。

     ちょうど昨夜が上弦の月。満月までは七日ほど。

     アサユキのサキヨミを受け取った使者たちは、それぞれの集落へ帰り着くと、嵐へ向けた準備をすることが出来た。水に浸って困るものは山の中の洞へと運び込んだ。そこまで運ぶのが難しいものは、集落にある高床式の建物にしまう。

     そして嵐の当日には、人々もみな山の中へと避難をした。

     そうして、大嵐はやってきた。アサユキのサキヨミのお告げどおりに。
     恐ろしく大きな嵐だった。
     いくつもの古い大木が倒れた。夏の終わりの、まだ青々とした葉がちぎれて空に舞った。
     
     大きな嵐ではあったが、ヒコの集落からは一人の犠牲者も出なかった。
     家はもともと簡素な竪穴式のものだから、流されてもすぐにも作ることが出来る。

     そうして……人々の口から口へ、アサユキ様の力は大したものだとの噂が広まっていった。

     嵐が過ぎると、人々はこぞってアサユキと神子の里へ御礼の貢物を運んだ。
     こうして、アサユキは誰もが認める神子となったのだった。
    スポンサードリンク


    この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
    コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
    また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

    「孤独」 (完済)

    前編  中編  後編

    「かつて、精霊がいた」 (完結)

    「アサユキ 精霊と出会う」
    その一 その二 その三
    「アサユキ 神子となる」
    その一 その二 その三 その四
    「アサユキと 白い精霊」
    その一 その二
    「アサユキと 魂の輪」
    その一 その二
    「アサユキ 決別する」
    その一 その二 その三