アサユキはそうやってしばらく祭壇となっているやぐらの上でぼんやりとしていたのだが、昼間の疲れが出はじめて、しだいにうとうとし始める。
     カクンと頭が後ろに倒れて、はっと目を覚ました。
     高い櫓の上から、地上をきょろきょろと見たが、やはり誰もいない。

    (聞いたことがある。神子の儀式の間は、カミにささげられるヒト以外、誰も外に出てはいけないんだって……。フキねえさまの時もそうだった)

     それは、神子の里だけでなく、ヒコの集落の者達も守らなければいけない掟だった。「神子成の儀式」を行うことを知らせる狼煙のろしが上がった日の夜は、人々は竪穴式の住居にこもり、誰も表に出てはいけないのだ。
     そう考えると、神子たちは必死で狼煙のろしを上げていた。
     ただ、アサユキは神子になるというのは、もっとすごい様々な準備があると思っていたのだ。姉のフキのときは、霊力を持つ子どもがいるという噂が先に広まったので、それを神子様たちが確かめるための期間があった。フキ本人も、送り出す家族も、十分に心の準備をすることが出来たのだ。

    『言った通りだったであろう?』

     頭のなかに、落ち着いた優しげな声が響いてアサユキは

    「ひゃあ!」

     と声をあげて飛び上がった。
     後ろを振り返ると、大きくて、美しい男が立っていた。その男は、体から光を発しているかのようにやんわりと輝いている。

    「ほ、保澄……」

     アサユキは、ぱくぱくと口を開閉させてた後に

    「さま」

     と、あわてて付け足した。

    『保澄で構わない。お前がどうしても付けたければ様を付けてもいいが、どちらでもよい。お前たち人間が付けた名だ。われらは気にせん』

     保澄はアサユキが見たこともないような柔らかくてきれいな衣をはためかせてアサユキの隣に胡坐をかいた。

    「保澄?」

     アサユキはとなりに腰を落ち着けてしまった保澄にちらちらと視線を向けながら話しかけてみた。あまりにきらきらしくて、じっと見つめることが出来ないのだ。

    『なんだ?』

     低く、優しい声が頭にこだますると、痺れたような感覚になる。

    「保澄は、精霊様なんだよね?」
    『私が精霊だというのは、人間が勝手に決めただけのことだ。お前たちが神と呼んでいるものも、精霊と名付けた私も、大差はないわ。そう言うのなら、お前たちの中にも神はいるはずだと思うのだがな』

     そう言うと、保澄はアサユキの胸の上を指でさした。
     アサユキはびっくりして保澄と自分自身を何度も見た。

    「ちがうよ。保澄みたいにきれいな人は人間の中にはいないよ。人は神様や精霊様とは全然違うよ」

     アサユキが言った。

    『キレイとかキレイでないとかではない』

     保澄は考えあぐねたように束の間口を閉ざす。そしてまた語りだした。

    『今ではこの里の者しか、われらと言葉を交わすことはできないが、お前の何代も前の父や母は皆、われらを見ることもできたし、サキヨミをすることも、おのれら自身で出来た。
     いつからであったかなあ、お前たちがその力を無くしていったのは。そして、われらをこうやって祀るようになったのは……』

     そういうと保澄はオオクマ川の方向へ体を向けた。
     この里は川の畔にあるのだが、川と祭壇の間には集落の墓所があり、遺体の入ったかめが埋められている。
     この神子の里に、死者を祀るために……。
     
    『アサユキ、この眼下にいくつも埋められたモノ。これもわれらを祀るようになってから始まったことだ。それまでは山の者達と同じ、共に生き、死ねばただ、この世界をめぐる輪の中へと帰っていく。なぜヒトは、その輪から外れようとするのだろうな。たまの抜けてしまった、ただの入れ物。あんなところに埋めてしまってはカミとやらのもとへ還ることもままならないだろうに』

     アサユキは集落の長である父から昔聞いた話を思い出す。その昔人は墓を持たず、他の動物たちと同様、霊の抜けた体はうち捨てられたのだと。
     アサユキは天を仰ぐ。きらめく星空、渡る風、森の奥の生き物たちのざわめき……そして耳の中からあふれそうなほどの虫の声。
     アサユキはふと気が付いた。今話している保澄の声は昼間のように頭の中でわんわんと反響はしない。もしかすると、保澄がアサユキに合わせてくれているのか、それともアサユキが保澄に慣れたのか……?

    『アサユキ、お前に一つサキヨミを与えよう』

     アサユキがそんなことを考えていると保澄が言った。アサユキの頬をそのひんやりとした手の平で包み込み、アサユキの顔を上向かせる。至近距離で保澄と目が合い、アサユキは恥ずかしさのあまり目玉をきょろきょろと動かそうとした。

    『アサユキ』

     ところが保澄の声に名を呼ばれた途端に、身動きすることができなくなった。虹彩のない、人とは違う瞳に、まるで吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。

    『次の満月の晩、嵐がやってくる。大嵐だ。大きく強い、風と雨がやって来る。川があふれる。そしてすべてが流される』

     そう言うと、保澄はアサユキから手を離し、祭壇の櫓の上からひらりと飛び降りた。

    「保澄……!」

     アサユキもその後を追いそうになるが、今夜一晩はこの上から降りてはいけなかったと、思いとどまる。
     さあぁ……っと風が一つ吹いて、アサユキが保澄が消えた方角を見ると、そこには立派な角を蓄えた見たこともないような大きな鹿が一頭。音もなく精霊の森の方角へと消えて行くのがみえた。
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    「孤独」 (完済)

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    「かつて、精霊がいた」 (完結)

    「アサユキ 精霊と出会う」
    その一 その二 その三
    「アサユキ 神子となる」
    その一 その二 その三 その四
    「アサユキと 白い精霊」
    その一 その二
    「アサユキと 魂の輪」
    その一 その二
    「アサユキ 決別する」
    その一 その二 その三