アサユキが神子になってから、三度目に迎えた冬はとても厳しかった。
     秋の収穫が豊作であったから、人々はその蓄えで何とか細々と暮らしていたが、何日も吹雪に閉じ込められて、狩の出来ない日々が続いた。
     
     

     だが、冬のあいだじゅうずっと吹雪いているわけではない。時には穏やかな日もある。
     アサユキが保澄に誘われて、夜の山へと登った日は、分厚い雲に空は覆われているものの、雪と風のない比較的穏やかな日であった。

     三年分の歳を重ねたアサユキはだいぶ身長も伸び、大人の雰囲気を持ち始めていた。その瞳に宿るきらめきは変わらなかったが、落ち着きと、女性らしいまろやかさが加わっていた。

     雪も降ってはいないし、風もないのだが、分厚い雲に遮られ、月どころか星すらも出ていない。だからうっすらと光り輝く保澄ほすみの姿は、まるで地上に落ちた月のようだと、アサユキは思った。
     アサユキは鹿の毛皮を鹿の腱で縫い合わせてできた暖かな服を着て、かんじきをつけた靴をはいていた。
     雪は降っていなかったが頬に当たる空気は切るように冷たい。
     白い息が夜空に吸い込まれていく。

    保澄ほすみ、どこへいくの?」

     息を切らしながらアサユキが問いかけると、後ろを振り返り、しばし足を止めた保澄は

    『もう少しだ』

     とだけ、答えた。

     こちらを向いて立っている保澄の向こうは木立が途切れているようだった。
     アサユキの前に保澄の手が差し出され、アサユキはその手に自分の手を乗せた。
     保澄の手に引かれて、数歩坂道を登ると、目の前には広々とした景色が広がっていた。
     一段高くなった崖の上は、視界を遮る樹々もない。
     すり鉢状にくぼんだ土地。そこを這うオオクマ川の流れ。神子の里も見えるし、たくさんの川の畔に点在する集落が見える。そしてそれらを包み込むように黒々とした山の稜線がみえた。
     真っ暗だと思っていたのだが、雪をかぶった景色は、思いの外によく見渡すことができた。

    「すごい! 保澄! 里の様子が全部見えるのね!」

     アサユキはその雄大さに歓声を上げた。
     保澄はそれには答えずに、すっと手を上げ、前方を指差す。
     その指の先には、数年前までアサユキが暮らしていた集落がある。そこにはいまもアサユキの父や母やきょうだいたちが暮らしている。

    『アサユキ、おまえの生まれた集落をじっと見ておれ』

     アサユキは言われたとおりに、じいっと懐かしい集落を眺めた。
     そして、息を呑む。

    『見えたか?』

     アサユキの様子をうかがっていた保澄が言った。

    「保澄! あれは何なの!?」

     興奮したアサユキは、保澄の腕を取って揺らした。
     はじめはぼんやりとした光のようなものが見え始めた。なにもないはずの場所から光が立ち上りはじめる。目をそらさずにじっと見つめるうちに、その光は虹のようにきらめき出した。

    『あれが、魂の道だ』
    「……え?」
    『あれが見えたのならば、よく目を凝らせば、もっとたくさん見えてくるはずだ。そして、大きな流れを感じるられるようになる……アサユキならば、出来る』

     アサユキがなおも目を凝らしていると、その光は段々と強くなり、天へとのぼっていく。

    「魂の、道? ねえ保澄! どうして見えるようになったの? 今まであんな光は見たことないよ!」

     アサユキは、保澄の隣で彼の腕につかまり、身を乗り出すようにつま先立った。

    『もともと、アサユキには見える力は備わっていたのだ。ただ、今まで見えなかったものを見るにはきっかけが必要だ』
    「きっかけ?」

     アサユキは隣に立つ保澄の横顔をちらりとうかがった。しかし保澄は目の前の景色に目を向けたままで、表情を読むことは出来ない。

    『あれは、アサユキに親しいものの魂だ』

     保澄の声がいつものように頭のなかで鳴ったのだが、暫くの間アサユキはその言葉の意味が理解できなかった。
     次第にその言葉の意味がアサユキの中に溶け込んでいく。

    「だ……れ?」
    『今年の春に生まれた、おまえの弟だ』
    「うそ!」

     保澄の衣服を掴んでいた拳に力が入った。

    「それって……それって……もしかして、死んだっていうこ……と?」

     保澄は黙ってうなずいた。
     しばらく呆然としていたアサユキが、はっとして保澄に縋った。

    「ねえ、どうにもならないの!?」

     そう言ってアサユキが腕を揺さぶるのに、保澄は首を横に振った。

    『何故どうにかしなければならない? 魂はなくなるわけではない。旅に出るのだ。そしてまた巡る。どんなに望んでも、魂というものは、ひとところに留まることは出来ないのだぞ?』
    「だって、もう会えないんでしょう? まだ、生まれて間もないのよ?」

     保澄はアサユキへと体を向けると、彼女の瞳を覗きこんだ。
     虹彩のない深い穴のようなこの瞳を、アサユキははじめて、少しだけ恐ろしいと感じた。

    『お前は神子であろう? アサユキ。目を開け。今だけを見るな。お前たち神子が目をなくしたら、われ等との絆は切れるぞ。お前なら見える』

     そう言うと保澄は軽々とアサユキを抱き上げた。
     きゃあ、と、アサユキが声を上げる。
     誰かから抱き上げてもらうなどということは、ずいぶんと久しぶりのことで、恥ずかしくなる。

    『心を閉ざすな、アサユキ』

     保澄の言葉に切実さを感じて、アサユキはおとなしくなった。
     保澄は、枝角がアサユキに当たらぬように、顔を少し横に向けてくれていた。
     保澄は精霊であり、人間よりもだいぶ大きい。小柄なアサユキのことを、小さな子を抱き上げるかのように自分の腕の上に乗せた。アサユキは保澄の肩に捕まり、じいっと自分たちの暮らす里の景色を見渡した。
     里のあちこちからすうっと天へと伸びる淡い光を感じる。それは集落の中から伸びていることもあるし、暗い山の中から立ち上っていることもある。時折それは、強く光り、そうして、弧を描きながら空の彼方へと吸い込まれていく。

    『魂のとおり道。魂が還っていくのだ。そして世界をめぐり、またここへ戻る。それだけのことだ。魂は巡る。だからこそ、また巡りあうことが出来るのだ』

     そう言った保澄の言葉に頷きつつも、アサユキは、今生でもう二度とは会えないであろう命に一筋涙を流した。

    「たくさん、たくさん見えるわ、はっきりと見える、保澄……」
    『一度見えるようになれば、それを探すのはたやすいこととなる。地上に残る獣の跡を、初めは見つけられないのに、一度見つけられるようになれば、なぜこれほどはっきりとしたものを今まで見つけられなかったのかと思うのと同じだ』

     アサユキは右手を己の右目の上にかぶせるようにそっと置いた。他のヒトより少しだけ、いろいろなものが見えるようになった己の目。

    『隠すなアサユキ。両の目でしっかりと見るんだ。お前が私たちとヒトの間を繋ぐものとなるのだから』

     保澄の言葉を受けて、アサユキは自分の目を塞いでいた手を外す。

    「保澄、よくみえる。とてもきれい。でも、でも、やっぱり何故かとても悲しいよ」
    『悲しみは、悪いものではない。この世では、もう二度と会えないのだから。別れのときには悲しくなるものだろう? だがアサユキ、悲しみを悪しきものとして、そこから目をそらすことはならぬと言っているのだ』

     目から外した手を保澄の肩の上へと置く。

    『悲しみから目を背け、悲しみに捕らわれる。苦しみも、憎しみも、そこから生まれていくのだ、アサユキ』

     アサユキは顔を上げ、前方に広がる景色を見渡した。

     魂の軌跡が幾つも寄り合わさって天へと上り、山向やまむこうへと消えていく様子が、その瞳にははっきりと映しだされているのだった。
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    「孤独」 (完済)

    前編  中編  後編

    「かつて、精霊がいた」 (完結)

    「アサユキ 精霊と出会う」
    その一 その二 その三
    「アサユキ 神子となる」
    その一 その二 その三 その四
    「アサユキと 白い精霊」
    その一 その二
    「アサユキと 魂の輪」
    その一 その二
    「アサユキ 決別する」
    その一 その二 その三